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- が入室しました
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- ――王都イルスファール、〈星の標〉。
- リアン地方内外に広く知られるその宿には、日夜多くの人間が訪れて また、発っていく。
- 早朝は争奪戦が起きる都合、最も人が訪れ 昼食時、夕食時、日付の変わる深夜と、それぞれの時間にも人が多く訪れるが
- 日付も変わり まだ陽も昇る前
- 最も暗いとされる夜明け前に、所在無さげに奏でられる音があった。
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- この宿は酒場を併設しており その酒場の奥には、一つのピアノが置かれている。
- これに触れるものは、――まして、演奏するものは、そう多くはない。
- とはいっても、埃を被っている訳でもないそのピアノの前に 一人の青年が座っている。
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- その青年は、確りと足元のマフラーペダルを踏み込んで 遮音の工夫を凝らしながら、一人で鍵盤を叩いている。
- 奏でられている音とリズムは、ある程度の周期が決まっていて 同じ曲を響かせ続けている。
- 先日、騎士だという男から教わった曲だ。……暫く練習に付き合わせ、未だたどたどしくはあるものの ただ弾く、というそれだけは出来る様になっていた。
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- 暗い宿に、小さな音が響く。また騒音だと怒りを買うかもしれないが、彼にとっては重要な事ではなかった。
- その時はその時で、また次にすればいい。――そんな、自分が折れる という思考の変化に、彼は未だに気付いていない。
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- 訥々と、いくつかの音が重ねられていく。
- その音は静かに、確かめる様に奏でられ
- 静かな店内に、僅かに響いていく。
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- 何巡しただろう。そんな事も気にならない程に、青年は鍵盤の上に指を躍らせている。
- ただひたすら、それを続ける。――動機は、簡単なものだった。
- ただ、彼女が喜ぶことを。青年には、それだけで十分で
- その為に、最も彼女が喜ぶことを探した時
- 音を連ね 重ねて、響かせる事を選んだ。
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- 恐る恐る触れていた鍵盤の上で、指は徐々に滑らかになっていく。
- 傷の絶えない、細く長い青年の指は 幾つもの声を殺してきたその指は
- 確かに今、幾つもの感情をこの暗い店内に 夜明けの来ない空に響かせている。
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- 暫く、奏でて
- どれだけの時間が経ったかも解らない程に、独奏に熱中していた青年は
- 薄い表情の中に、確かな満足の色を滲ませて 指を止める。
- ゆっくりと、奏でていた自身の指先を見遣って
- いつか、彼女の指に触れた時の様に それを柔く握り込んだ。
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- 首輪付きの獣だと、誰かが言った。
- “福音の奏者”に首輪を付けられた、全てを厭わない獣なのだと。
- それでも、この日 この場所で独奏し
- 自身が奏でた音に、満足そうに笑みを浮かべ
- 想い人に聞かせたい、と願うその姿は
- ただ、どこにでもいる 恋をする青年のものだった。
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- そうして、夜が明ける。
青年の愛する、どこまでも突き抜ける青空が広がって――
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- 「――、」 獣は、青空のもとへと駆け出して行った。